仏壇を掃除して位牌を磨いたりする時に感じるもの

今から16年前の今日。
2004年の2月3日に親父は他界しました。

うちの親父は串間市で寿司屋を営んでいました。
私が小学校5年生くらいのときかな。

それまでは「板前」として志布志大黒とか、
南郷町のホテル丸万で腕を磨いていたようです。

串間市の寿司屋といえば、なんといっても
「寿司虎」が有名ですよね。

うちは商才がなく商売が厳しかったのか、
事業がうまくいかずに新天地を求めて
岐阜県(柳ヶ瀬という繁華街が有名)に
行くことになりました。

そして親父と家族は紆余曲折ありまして
私が大学生のときに若い女性と蒸発します。

そこから更に時が流れて数年後に
いきなり訃報がきたという感じです。

怖い父親だったので一緒に遊んだ記憶も
そんなにないし、語り合ったこともない。

「俺って愛されていないのでは?」
なんて思ったことも多々あります。
まぁ、家族だからって関係性はいろいろですから。

そんな関係性だったから、蒸発を知った時、
母や妹たちの生活もありショックだったの
ですが、心のどこかで

「これから自由に生きれる」と思ったことを
覚えています。抑圧されていたんですかね。

私には料理の才能がなかったので
あっけなく親の跡を継ぐという選択肢は
消えました。いや、その前にお店も潰れたし。

不思議なことに蒸発した当時から親父に
怒りとか恨みとかっていう感情はありません。

愛憎というけれど、もしかしたら愛情が
なかったから憎しみもなかったのかも。

「家族もお店も捨てて蒸発する勇気は凄い」
なんて思ったりしたのも事実ですから。

そんなに熱烈にその女性が好きだったのか、
これまでの人生のすべてが嫌になったのか、
私にはわかりません。

親父との距離感は、関係性は変わらぬまま。
こんな感じで人生が進んでいくのかな。

なんて思っていたのですが法事の時に
串間市の実家に帰って仏壇を掃除して
位牌を磨いたりすると、
なんだろう。親父とスキンシップしているような
そんな感覚に襲われたのです。

お風呂場で背中を洗っているような感じ。
位牌が親父の身体なんでしょうね。

そうするとね、
親父の遺影を見れなくなるんです。
ちょっと気恥ずかしくて。
照れくさいんですよ。

ちょっと愛を感じたんですよ。その時に。

私の愛なのか、親父からの愛なのか、
わかりませんけど初めて面と向かって
交流ができた気がしました。

親が他界してからってのがね。
どうなんでしょう。笑

そんな親父の命日です。
今日は飲みましょうかね。

…ではまた来週!

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