休日に「何もしない日」がありました。
不思議なものでね、何もしなくても、何かをしても、お腹って減るもんなんですよ。
そして更に不思議なもので、どうせ食べるのであれば美味しいものがいいんですよ。
不思議でしょ?
どうせ数時間後にはお腹が空くんですよ。当たり前のことですけど。だったお茶漬けでもいいじゃない。次の食事までの繋ぎなんだから。
心の豊かさが満足感を作る
どうせ食事するなら美味しいものを。
多くの人がそう考えると思います。
なんでしょうね、美味しいものってどの時点で幸せを感じるのでしょうか。
食材が口の中に入った時?
噛み締めた時?ごくんと飲み込んだ時?
「はぁ美味しい~幸せ」ってなりますね。幸せとは食事時間全てなのかもしれません。でも…数時間後には忘れている。今度は違う美味しいものを欲している。笑
私は漫画ドラゴンボールに出てくる仙豆がすごく欲しかった。小さな豆を食べると満腹になり体力も傷も回復するという優れものです。
でも実際にはどうなんでしょう。機能的に、満腹はなるんでしょうけど、どうかな?
心は満たされないような。満腹感はあるが満足感がないような気がします。
ステーキのジュ~と焼ける音とか、麦酒のシュワシュワとか、漬物のコリコリとか。私たち人間って五感全てを使って料理を味わっているのだと思います。
窯元を呼んでの陶器市とかよくやってますがそれだって同じことです。合理的に考えると紙コップでも紙皿でもいいじゃないですか。なのに何故そこに柄とか形とか不合理なものを求めてしまうのでしょうか。
小学生の時に読んだ教科書にはその不合理を自ら望むのが人間だみたいな表現がありまして、今だにそれが引っ掛かっているんです。
答えになっているのかなっていないのか。人間だから、か。確かに動物は皿の模様に拘りません。同じ味の食事ばかりしていてたまには違う味を食べたいなぁなんて思いません。
私は猫を飼っているのですが動物に詳しいペットサロン経営者からも「餌はずっと同じものをあげても構いません」的な事をアドバイスされたこともあります。いつもA社のキャットフードばかりだからたまにはB社のキャットフードを!なんて猫はいいません。あ、ちなみに猫の名前はあんこです。あんこはいいません。思っているかどうかもわからないのですが。
それでもたまにはB社のキャットフードを食べさせてあげたい。美味しい料理を食べるなら、それに見合う美しい器に盛り付けて目でも楽しみたい。
そういう合理性とはかけ離れているところに人間性があるし、満足感もあるのです。
───本日はここまで。
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学びの多い、充実した一週間を。
今週のリラックスタイム
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学生時代「気が沈んでいる」と友人に話したら「最近生産してる」と聞かれ、「何でもいいから生産しな。本を読んで感想を書く、料理を作る、外食したらレビューを書く。何でもいいから生産しな。生産は心にいいぞ」
としみじみ言われた。落ち込むと何か生産を、と言い聞かせる。
(Twitterより)
何か生産しな。っていうのは響きますね。
実際私も心が動いた時にFacebookやこのブログにそれを書くことが多いし、むしろそのためにやっているようなものです。
インプットしたら、アウトプットです。
感謝を感じたら、有難うと言う。これは当たり前ではあるんですけどね。映画に行ったらパンフレットを買うとか、外食したら写メするとか、ビールを飲む時は仲間に「乾杯」とグラスを傾けるとか。笑
投げかけたら返す。返事だってそうです。これって重要だし、大切にしたいところ。話しかけて無言だったら寂しいですよ。
ある出来事や言葉や物や感情を素材にして何かを創り出す。そこにその人らしさとか人柄とかクリエイティブとかがあると思う。
あなたの周りには素材が今日もたっぷり。ぜひ何かを生産してみてください。
…というわけで今週号はお終いです。
楽しい一週間をお過ごしください!!!