想いはそこにあるか?日南市の地域団体「南郷町もえる商忘団」の誕生秘話

地域づくりに携わるようになって6年経過しました。
現在は何故か宮崎県地域づくりネットワーク協議会の南那珂ブロックの代表っす。

そのきっかけについて書きたいと思います。

長くなりそうなので、暇なときにお読みください。

22年前の出来事

いつもお世話になっている南郷町の竹本政憲さん(65歳)から聞いた話です。

幼馴染みに河野さんという男性がいたらしいんです。

 

河野さんは当時、世界的なJAZZピアニスト
山下洋輔さんの懐刀と言われるほどの敏腕マネージャーだったらしいのです。

山下洋輔のJAZZを皆に聞いてもらいたい。

演歌以外のさまざまな音楽を通して南郷町の文化レベルを上げたい…!

彼がずっと抱いていた夢だったそうです。

その頃、南郷町に似合わない席数800の複合施設「ハートフルセンター」が建設されるという情報があったらしい。

無用の長物、税金の無駄使い。

建設前はそう言われたようですが南郷に山下洋輔を呼びたいと願っていた河野さんにとっては朗報でした。

その情報を聞きつけた河野さんはいてもたってもいられなかったようで地元に住む竹本さんに相談をしてきたらしい。

「オレが山下洋輔を南郷町に呼ぶからアンタは南郷町でお客さんを集めて欲しい」

 

■もえる商忘団(しょうぼうだん)の誕生

幼馴染みの河野さんの夢を叶えてあげたい、寂れゆく地元を活性化させたいという気持ち。

それがきっかけで出来たグループが竹本さんが代表を務める「南郷町もえる商忘団」です。

しかしながら…河野さんは山下洋輔を南郷町に呼ぶことなく、病気でこの世を去ってしまいます。

竹本さんは遺志を継ぐ覚悟をしました。

 

「アイツの代わりにオレがやらんといかん!」

 

竹本さんを中心に地元の有志が集まり、町をくまなく回って懸命にチケットを販売し、おじいちゃん、おばあちゃんばかりの南郷町に山下洋輔を呼んだ…。

当日、お客さんが本当に来てくれるのだろうか?

とても不安だったと竹本さんは言っていました。

しかし、お客さんが1人、2人と会場に姿を現すと何故か涙が溢れて仕方なかったそうです。

もちろん、音楽も最高で演歌にしか馴染みの無かった南郷町民も、本物に触れることで音楽の素晴らしさを知ったらしいです。

もう22年が経ちます。

 

■河野さんの本当の遺志

 

それから、もえる商忘団は様々なイベントを手掛けていきます。

歌手や落語家、お笑い芸人などを呼んでテレビCMやチラシをばら撒き、南郷町で数多くの動員をしていきます。

試行錯誤しながらも、南郷町のためにイベント活動に専念したようです。

そんなある日、竹本さんは次はどんな人を呼ぼうかとテレビ局のお偉いさんに相談します。

そうするとその方はこんな事を言ったそうです。

 

「竹本さんはイベント屋じゃないでしょ?
有名なタレントや歌手を南郷町に呼ぶのがイベント屋の仕事で、もえる商忘団がそれをやっちゃダメでしょう?
地域に根差している、売れてはいなくても、本物の音楽を魂込めてやっている人たちを南郷町に呼ぶこと。 そして、そんな彼らの音楽を皆で聞くのがスポットを当てるのが亡くなった河野さんの本当の遺志ではないのですか?」

 

この言葉に竹本さんもドキッとしたそうです。

そして、とても恥ずかしくなったそうです。

それから竹本さんはいろんな地域の音楽イベントに顔を出して、歌手やバンドと交流を図り、自らの耳で聞いて次に呼ぶバンドや歌手を決めるようにしたとのこと。

■想いの果てに

私は竹本さんからこの話を聞いて、グッと心にこみ上げるものがありました。

ホントに凄い人です。私利私欲を捨てて、信念を持って生きる。

私にはかなり難しい生き方です。

河野さんの遺志を継いでやってきた音楽イベントも今年で25回目を迎えます。

私は未来へ続く今日をどうやって過ごすのか?
のほほんと生きる毎日に疑問を持ってしまいます。

 

───本日はここまで。

 

今回は数年前に書いた日記を再編集しました。

当時の自分の想いを思い出して反省しています。

地域づくり活動の軸、人生を歩んでいく信念。
想いという一言では括れない感情。

浅はかな知恵で不安逃れの人生を過ごす私の胸にグサグサッと突き刺さって痛いです。

 

未来への一歩をどう歩むのか?

人生のターニングポイントは日々の中にありますね。

それでは今週もはりきって参りましょう!

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